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久しぶりにお茶のお稽古に行き、7月末から会っていなかった茶道の先生とお会いしまして、恐縮ながら誕生日のプレゼントをいただきました。
青いハンカチを。
あまりの衝撃に思わずパソコンを開いた副隊長です。
が、
大変嬉しゅうございました^^
青いハンカチを。
あまりの衝撃に思わずパソコンを開いた副隊長です。
が、
大変嬉しゅうございました^^
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運動なんてかけ離れた一日でしたとも。
方程式を解いているとささやかな眠気に襲われるのですが、だからといって借りてきた枕草子を読むと激しく疲れ、仕方なくGeniusを読むとまたオチのない話で不愉快になり、結局図形と方程式をやっているときが一番楽しかったことに改めて気付きました。
こんなので自分は一体大丈夫なのでしょうか。
とりあえずは、自分の能力を過信しようと思います。
きっと次にパソコンを開くのはテストが終わった後になるでしょう。副隊長でした。
方程式を解いているとささやかな眠気に襲われるのですが、だからといって借りてきた枕草子を読むと激しく疲れ、仕方なくGeniusを読むとまたオチのない話で不愉快になり、結局図形と方程式をやっているときが一番楽しかったことに改めて気付きました。
こんなので自分は一体大丈夫なのでしょうか。
とりあえずは、自分の能力を過信しようと思います。
きっと次にパソコンを開くのはテストが終わった後になるでしょう。副隊長でした。
定期テストも点高くいってくれたら文句はありません。理想と現実の狭間で揺れ動くのは思春期の悩みの一つでしょうか。中学時代、大いに悩んで頭髪に影響が出たこともある副隊長です(その割に他人の場合は心の中で微笑します)。
古文の訳で少々聞き流したところがありまして、枕草子を図書館で借りてきました。私の中学の図書室にあったものはハードカバーでしたので、ずっとハードカバーで探していたところ(1,2年探していました;)、目当ての本は文庫でした。こんな本――といったら失礼でしょうが――まさか文庫化していると思いませんでした。手に取ったところ借りた形跡があまりありませんでした。
本の題名は、ずばり
『桃尻語訳 枕草子』橋本治 河出文庫
中学生の頃、先輩に半強制的に薦められて手に取ったこの本、題名もさることながら読んで激しく動揺しました。史上最強の直訳枕草子でしょう。
興味があったらページを繰ってみてください。
強制はしません。
しかし、テストでぜひとも書いてみたい口語訳です。
(アリスさんに「・・・ったく答案加害者なんだから!」と言われそうな気がします。そんなこといいましても、私の前科は現代文と現代社会と漢文と地学と化学と中学のときの英語だけではないですかっ)
古文の訳で少々聞き流したところがありまして、枕草子を図書館で借りてきました。私の中学の図書室にあったものはハードカバーでしたので、ずっとハードカバーで探していたところ(1,2年探していました;)、目当ての本は文庫でした。こんな本――といったら失礼でしょうが――まさか文庫化していると思いませんでした。手に取ったところ借りた形跡があまりありませんでした。
本の題名は、ずばり
『桃尻語訳 枕草子』橋本治 河出文庫
中学生の頃、先輩に半強制的に薦められて手に取ったこの本、題名もさることながら読んで激しく動揺しました。史上最強の直訳枕草子でしょう。
興味があったらページを繰ってみてください。
強制はしません。
しかし、テストでぜひとも書いてみたい口語訳です。
(アリスさんに「・・・ったく答案加害者なんだから!」と言われそうな気がします。そんなこといいましても、私の前科は現代文と現代社会と漢文と地学と化学と中学のときの英語だけではないですかっ)
題名は挨拶でなく、今晩は仲秋名月一日後です。部屋の窓からお月様がよく見えています。完璧なものよりも少し歪んだものを愛でる傾向がある日本人は今日も綺麗だと思うのでしょう。
相当うろ覚えですが、『易経』で混沌から天地創造を表しているらしい八卦でも「完成」にあたるものは最後から二番目で、最後はまた壊れて最初の混沌に戻る、という循環をするようになっているそうです。ここで、月の満ち欠けが循環していることだと思えば、美意識が途端に哲学的になるような気がしてきます。脳内だけが飛躍しています副隊長です。
月といえば思い出すのが受験の頃です。
その頃通っていた塾の国語の先生が密教の研究をしているとかしていないとか、少々変わった御方でした。
あるとき、ただ文法をやるだけの文章が、月にまつわる伝説についての内容でした。答え合わせが終わった直後、先生は言いました。
「この文章は読んでみても面白いと思う。月っていうのはな、何か特別の力があるんだよ。えーと・・・ルナティックって言葉あるだろう?狂気を呼んだりもするんだよな。だけど、知り合いの娘さんが、毎晩月光浴してたらしいんだけど、その子は第一志望校にすんなり合格したんだよ。因果関係はわからないけどな。」
ちなみに、私は実行しました。月光浴。
相当うろ覚えですが、『易経』で混沌から天地創造を表しているらしい八卦でも「完成」にあたるものは最後から二番目で、最後はまた壊れて最初の混沌に戻る、という循環をするようになっているそうです。ここで、月の満ち欠けが循環していることだと思えば、美意識が途端に哲学的になるような気がしてきます。脳内だけが飛躍しています副隊長です。
月といえば思い出すのが受験の頃です。
その頃通っていた塾の国語の先生が密教の研究をしているとかしていないとか、少々変わった御方でした。
あるとき、ただ文法をやるだけの文章が、月にまつわる伝説についての内容でした。答え合わせが終わった直後、先生は言いました。
「この文章は読んでみても面白いと思う。月っていうのはな、何か特別の力があるんだよ。えーと・・・ルナティックって言葉あるだろう?狂気を呼んだりもするんだよな。だけど、知り合いの娘さんが、毎晩月光浴してたらしいんだけど、その子は第一志望校にすんなり合格したんだよ。因果関係はわからないけどな。」
ちなみに、私は実行しました。月光浴。
せっかくの仲秋名月だというのに雨降りお月さん雲の中です。
個人的に、月見団子を四角錐に盛るか三角錐に盛るかで悩みます。四段重ねの場合、前者だと30個で後者だと20個、見栄えを取るか手軽さをとるかというところでしょうか。一週間サイト放置でした。
本日の雨、これで大雨洪水警報が出ないのが不思議でした。
学校の大きなヒマラヤスギが幹ごと揺れていましたし、
三階の教室の雨漏りが大変なことになっていました。
選択書道の時間、私が文字を書いている横でちゃかぽこ鳴る7つのバケツ。心頭滅却すればバケツの音も・・・
とは思いつつ、気になって仕方がありませんでした。
不幸な人のささやかな悲鳴とちゃかぽこちゃかぽこ7つの共鳴と。
世の中、お金がないとどうしようもないことがあるのですね。
そういえばオペラ『アイーダ』にアメダスみたいな名前の登場人物っていましたよね。副隊長でした。
個人的に、月見団子を四角錐に盛るか三角錐に盛るかで悩みます。四段重ねの場合、前者だと30個で後者だと20個、見栄えを取るか手軽さをとるかというところでしょうか。一週間サイト放置でした。
本日の雨、これで大雨洪水警報が出ないのが不思議でした。
学校の大きなヒマラヤスギが幹ごと揺れていましたし、
三階の教室の雨漏りが大変なことになっていました。
選択書道の時間、私が文字を書いている横でちゃかぽこ鳴る7つのバケツ。心頭滅却すればバケツの音も・・・
とは思いつつ、気になって仕方がありませんでした。
不幸な人のささやかな悲鳴とちゃかぽこちゃかぽこ7つの共鳴と。
世の中、お金がないとどうしようもないことがあるのですね。
そういえばオペラ『アイーダ』にアメダスみたいな名前の登場人物っていましたよね。副隊長でした。
教養基礎国語の時間に、宮沢賢治の『永訣の朝』をやりました。
浄土真宗を信仰していた父親に反抗して法華宗を信仰したことが、間違いでないかどうかを、死に別れる妹の転生先で判断しようという賢治がなんだか妙な人に思えた副隊長です。
私の中で、宮沢賢治といえば『銀河鉄道の夜』です。
あれは擬人化した猫でアニメ化されていました。
どちらがどちらかは忘れましたが、青い猫と赤い猫でした。
アニメのなかで、青い猫が赤い猫に言います。
「どうしたの、顔が青いよ」
・・・。
青い猫が赤い猫に言います。
初めて見たときは動揺しました。
どちらが青いかは見ての通りでは?
などとツッコミを入れそうになりました。
たしかに原作でもこの言葉は何度か出てきます。
しかし、製作者は見落としたのでしょうか。
それとも見て見ぬふりをして、あえて色をそうしたのでしょうか。
全く解せません(司令長官殿と久々に意見が合いました)。
浄土真宗を信仰していた父親に反抗して法華宗を信仰したことが、間違いでないかどうかを、死に別れる妹の転生先で判断しようという賢治がなんだか妙な人に思えた副隊長です。
私の中で、宮沢賢治といえば『銀河鉄道の夜』です。
あれは擬人化した猫でアニメ化されていました。
どちらがどちらかは忘れましたが、青い猫と赤い猫でした。
アニメのなかで、青い猫が赤い猫に言います。
「どうしたの、顔が青いよ」
・・・。
青い猫が赤い猫に言います。
初めて見たときは動揺しました。
どちらが青いかは見ての通りでは?
などとツッコミを入れそうになりました。
たしかに原作でもこの言葉は何度か出てきます。
しかし、製作者は見落としたのでしょうか。
それとも見て見ぬふりをして、あえて色をそうしたのでしょうか。
全く解せません(司令長官殿と久々に意見が合いました)。
「いや、でもこの人は話し言葉が文語体だから」と、ある御方にフォローされました。フォローだと信じていいのでしょうか今ひとつ気にかかる副隊長です。
ある日、友人と下校中、「三番線ドアしまりま~す」というアナウンスに「首とかしまるより数倍ましだよね」と話していました。
友人「『ま』が『め』だったらやだね」
私「しめったドアって気持ち悪ーい・・・。どこからか霧吹きが出てくるのかな?」
友人「まあ、すごい迷惑だよね」
私「『ドアしなりま~す』とか言われてもいやだね」
友人「寄りかかったら大変なことになりそうだね」
ちなみに、本日の登校中、電車が遅れたのはドアの故障のせいだったそうです。
ある日、友人と下校中、「三番線ドアしまりま~す」というアナウンスに「首とかしまるより数倍ましだよね」と話していました。
友人「『ま』が『め』だったらやだね」
私「しめったドアって気持ち悪ーい・・・。どこからか霧吹きが出てくるのかな?」
友人「まあ、すごい迷惑だよね」
私「『ドアしなりま~す』とか言われてもいやだね」
友人「寄りかかったら大変なことになりそうだね」
ちなみに、本日の登校中、電車が遅れたのはドアの故障のせいだったそうです。
人生は無駄しかありません。
人間にアルゴリズムを求めたら絶対つまらなくなると思います。
千利休様の侘寂が美しいのは合理性とともに優雅に時間を使うからではないかと勝手に思っております副隊長です。
数年前、
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
「どうして学校に行かなきゃいけないの?」
という質問が社会的に流行っていた頃、私は
「そりゃあ人生で無駄なことを教わるために決まってるじゃん!」
「そりゃあ学校が来てくれないからにきまってるじゃん!」
自信満々に言い切っていた記憶があります。
単純明快なあの頃がもうわかりません。
人間にアルゴリズムを求めたら絶対つまらなくなると思います。
千利休様の侘寂が美しいのは合理性とともに優雅に時間を使うからではないかと勝手に思っております副隊長です。
数年前、
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
「どうして学校に行かなきゃいけないの?」
という質問が社会的に流行っていた頃、私は
「そりゃあ人生で無駄なことを教わるために決まってるじゃん!」
「そりゃあ学校が来てくれないからにきまってるじゃん!」
自信満々に言い切っていた記憶があります。
単純明快なあの頃がもうわかりません。